
72市区町村から集まった皆さんの21万筆までの記録をサイトアップ準備中です。
一部を公開します。
大阪狭山市 H・K
大阪狭山市は大阪府の南河内に位置する面積12万km2弱の小さな市。私自身は40年以上大阪市の小学校に勤務していたので、地元のでの運動の経験はほとんどありませんでした。3月21日、エルおおさかで開かれたスタート集会には大阪狭山市からの出席者は私1人。私は地域担当者になりました。たった一人で有権者の1/50の署名を集めるなんてできるのだろうか。でも悩んでる間もなく署名活動が始まりました。嬉しいことがありました。私一人だと思っていた受任者が私の家族以外に10名ほどが登録しておられたのです。私はその住所を見て大急ぎで自転車に乗って署名簿を届けました。
今回の署名は非常に制約が多くハードルの高い署名。直接会って丁寧に説明をしたい。そう思って開いたのが4月10日の「受任者・協力者の集い」。21名の方が参加してくださり、本格的に署名活動がスタートしました。
受任者の方々のエネルギーはすごいなと感じました。ご近所を一軒一軒訪ねて歩く方、知り合いに電話をかけて署名依頼を重ねる方、私と一緒に連日あちこちのスーパーや駅頭で署名活動に立たれる方など一人ひとりが持ち前のやり方で工夫して取り組んでおられました。5月2日の「受任者・協力者のつどい」時点では一人で百筆以上集められた方も続出。法定数突破は確実になっていました。
そして最終的には、法定数の約1.8倍の1754筆が集まり(有効1661筆)、6月6日大阪狭山市選管に提出しました。その間、受任者・協力者は58名に増えました。大阪狭山市での直接請求署名運動のおもしろいところは受任者同市のつながりです。3か月前には顔を知らない者同士が署名を通じて知り合いつながりを広げてきたのです。そのつながりは署名後もずっと続き現在にまで至っています。ひとりひとりが無理せず楽しくをモットーにカジノ中止から地域を変える運動にまで発展しています。
大阪市 M・F
最初は受任者になることさえ戸惑っていた人も、中頃から自ら受任者になってくれたり、署名を積極的に集めてくれました。また、在日の方も「無効になっても署名したい」と多く参加してくださり、署名活動へも市民に向けてアピールしてくださった。
署名活動中に「マイクで話していいですか。」と飛び入り参加して「カジノになぜ反対か」とアピールされた人や「愛がないのにIR]のコールに聞き入って拍手をしてくれた人もいた。
茨木市 Y・Y
住民投票をもとめる運動で、大阪を変えよう。
カジノの是非を問う住民投票の直接請求署名の取り組みを振り返り、思うことは、この運動が形骸化している地方自治に風穴を開けるたたかいだったということです。自分たちの住んでいる地域のことについては、自分たちが決めるという地方自治についての当たり前のことが、どんどんできなくなっています。カジノについて言えば、推進派の大阪府議会議員からは、「大阪市と大阪府の議会で決まったことだから、今更反対できない」「府民から信託された議員が決めたことだ」と言われました。しかし、私たちは、カジノの誘致について、知事と市長、議員に対して「白紙委任」したわけではありません。府民に対して十分な説明もなしに決めたカジノの誘致については、意見を言う権利が府民にあります。それをやろうとしたのが住民投票でした。
「大阪にカジノをつくったら大変なことになる」「税金をカジノに使うなんてとんでもない」という市民の声を一人ひとり聞き取り、対話を通して署名を積み上げてきました。カジノの情報が市民には伝わっていない中で、署名活動は簡単ではありませんでしたが、街頭で、地域であきらめず、粘り強く取り組んだ成果が、茨木市で6000筆、大阪で21万筆です。茨木市では、条例制定の住民投票はこの間経験したことがなく、市民も市の選挙管理委員会もはじめは戸惑い気味でした。でも、こういうやり方で、政策を変えることができるんだという展望を見出すことができました。
残念ながら、府議会では条例案は否決されてしまいましたが、「初めからわかっていたことだろう」「やっても無駄だった」ということは全くありません。21万筆の署名を踏みにじることはできません。それにしても、府議会の答弁に立った吉村知事の冷淡な表情を忘れることができません。決まったことをただ淡々と述べるだけ、なんの気持ちもこもっていない発言でした。こんな知事では、大阪がよくなるわけはありません。
住民投票をもとめた市民の運動を束ねて、新しい大阪をつくるために引き続き頑張っていきましよう。
河内長野市 S・O
運動の一体感がかつてないもので、例えば、他自治体から本市の知人・友人・親戚を紹介されたり、その逆もあったりなどです。自治体ごとに集めるのは大変でしたが、その分連携が必要となり、普段お会いしたり交流したりできない方と、お近づきになれたのは貴重でした。
貝塚市 M・K
多くの人が立場を超えて取り組みました。特定の政党の活動では起こりえない、市民の意思の力に励まされる運動でした。実務面でも、選管との良好な信頼関係のもと進めることが出来ました。
期間中は、街頭などで、「カジノは嫌やけど、もう決まったことなんやろ?」という諦めの声を多く耳にしました。しかし、「大阪の主権者は住民である私達ですよね?」「大阪の未来を大きく左右してしまうようなことは私達に訊いてほしいですよね?」という問いかけを重ねると、「そうやな。黙ってたらあかんよな」と、頷きながら署名される方が沢山おられました。
なかでも印象に残っているのは、収集期間終了後に進捗報告のビラを受け取って下さった方の言葉です。「知ってたら私も署名したかった!」と悔しがれたその方は、「意思表示の場って選挙しかないと思っていたから選挙のたびに絶望してしまって、もう大阪を出ていきたいと思っていた」「署名を通して私も意思表示したかった」と仰いました。その方の言葉から、私はこの運動のもうひとつの大切な側面を教わりました。それはこの運動が、カジノ反対と同時に、「住民主権の意識を回復させることで大阪の元気を取り戻したい」という切実な願いが込められた運動でもあったということです。
「政治の決めたことに対して市民は無力だ」という諦めムードの支配を許さず、今後も、市民の力で大阪を元気にしていく運動の継続を切に願っています。
阪南市 H・I
若いお母さんがバギーを押しながら話しを聞いてくれて「なぜカジノが必要なの?」と、
そしてきっぱりと「カジノ要りません」とサインしてくれました。
寝屋川市 I・M
平日は、毎日朝、市役所前を定点ポイントとして署名を集めました。そこで知り合った人が、自治会や老人会、元同僚の方々との集まり等で集めてくれました。多くの市民と知り合い、つながりをつくることもでき、取り組んでよかったと思います。その期間中は、私も含めてスタッフもが次々と体調を壊し、大変な時期もありましたが。
大阪市 K・K
1~2週に1度集まり活動計画・情報交換を行った。初めて出会う人、久しぶり会う人、共に活動している人…様々。いろいろな立場の人が「住民投票」という一つの事を目指し知恵を絞って精一杯動く姿に、互いが刺激を受け最後まで頑張れた。市民運動を実感した。
・受任者から受け取った署名用紙に「大阪市」「署名日」がないものが多くあった。そのため、見本をつけて署名してもらうようにした。
・受任者のメール記載が少なく、SMSや郵送で情報を送った。HPを見られない方も多く、最終の署名・回収場所・方法などの情報は確実に届く郵送にした。カンパを募ったが、印刷代・郵送代等、金銭面は厳しかった。良い方法はないか?
・受任者の皆さんの積極的な行動に助けられた。(街頭署名だけでなく、各市営住宅を回る、団体や職場で署名、自転車に拡大チラシを張って走る、街頭グッス作成 等)
・署名ステーションを作ることができなかった。
そのため、署名場所を同じ所で数日続けたり、署名用紙受け取り場所の情報を発信したり、工夫した。
・外国籍の方が多く署名してくださった。
「無効になるのはわかっているけど、カジノは反対やから署名する。私も大阪市民や」と。同じ街に住み、税金を納め、お互いに助けあって暮らす住民に、住民投票条例をもとめる署名ができないという制度になっていることに憤りを感じる。
・他区の方が代筆をされていた署名が複数あり、無効になった。高齢者施設の職員(他区)が代筆されたものと思われる。非常に残念。
・議会で十分な議論なく多数決で決まるという結果に対して、住民が意見表明できる権利としての住民投票を求めたにもかかわらず、再び府議会で同様な決議で否決される。住民投票の署名が1/50集まると住民投票ができるような制度にならないものか。せめて時間を十分に取り、それぞれの立場からの意見が言え、議論ができる議会の持ち方にならないのか議会の持ち方に大きな問題があると思う。
大阪市 M・Y
直接請求が日本人の署名しか認めていないのはおかしい。住む者すべてに政治参加の権利はある。
区役所前で署名集めをしていたら、多分20代の在日コリアンの女性が署名したいとやってきました。「直接請求制度は外国籍の人の署名はカウントしないという差別制度だ。それを承知してもらった上で外国籍の人にも署名してほしい。その意思を役所に伝える。条例案は全住民に投票可能な内容になっている」と話しました。署名した彼女は「時間のある時に手伝いに来ます」。そして、最終日に本当に来てくれて嬉しかった。10筆以上集めてくれました。道行く人と明るく対話をして集めていたことを思い起こします。
最後までご覧いただきありがとうございました。
今後も随時追加してまいります。(事務局)